ドイツ車とはドライバーとクルマの関係が異なる
ニュルブルクリンクで鍛えられていると聞くと、ドイツ車化しているのでは? という疑問もわくが、けっしてドイツ車に近づけているという感じではない。実際にハンドルを握ると、クルマとドライバーの関係性が異なることに気が付く。
日本的なスポーツカーの概念では、クルマとドライバーは対等であるべきというマインドが強いように思える。一方、ドイツ車ではクルマがドライバーよりもわずかに上位にいるような印象も受ける。
しかし、たとえばキャデラックのスポーツサルーンに乗っていると、ドライバーがクルマよりも上位にあり、ドライバーの意思が優先されている感じを受けるのだ。ステアリング系などからのインフォメーションを受けて、ドライバーが操作を行なうというプロセスにおいて、入力側が優先されている印象といえばわかるだろうか。
あえて違いを強調するならば、ドライバーがクルマの性能を引き出すというより、クルマが優秀な部下としてドライバーを支えるといったフィーリングに思えるのだ。パフォーマンスの部分ではグローバルレベルでありながら、やはりアメ車としての味付けはされている。
こうした味付けは良し悪しではなく、個々の好みに合うかどうかの話。ニュルブルクリンクでも開発をしている最新のキャデラックやシボレーだが、けっしてドイツ車化しているわけではなく、アメ車としての独自の味わいを持っているといえそうだ。