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12気筒にこだわり続けた70年代のフェラーリF1マシン (2/2ページ)

12気筒にこだわり続けた70年代のフェラーリF1マシン

フラット12にこだわり続けた孤高のフェラーリ

 ロータスに搭載された1967年にデビューのフォード・コスワースDFVは70年代に入ってF1GPにおけるスタンダードとなっていた。その一方で、より高いパフォーマンスを求めてマルチシリンダー……現実的にはDFVの8気筒に対する12気筒にこだわるチーム/コンストラクターもあった。その好例がフェラーリ。F1GPにおいても12気筒への信奉は強く、とくに低重心を追求したフラット12はフェラーリの代名詞になっていた。これが常にオールマイティだったかどうかはともかく、75~77年と79年、5年間で4度王座に輝いた70年代の後半が、フェラーリの何度目かの黄金期であったことは疑う余地がない。

ライバルや関係者を驚かせたプロトタイプモデル

1974 Ferrari 312 B3“Spazzaneve(Snow Plow)”

 F1GPがそれまでの1.5リッターエンジンから3リッターエンジンへとコンバートされることになった66年シーズンに向け、いち早く新型車を発表したのはフェラーリだった。搭載されていた3リッターのV12エンジンにちなんで312(あるいは312F1)と呼ばれたニューマシン。

 しかし、デビューシーズンこそ年間2勝を挙げてコンストラクター2位につけたが、翌67年と69年は未勝利、68年にも1勝を挙げただけで、失敗作の烙印を押されたまま次世代へとバトンタッチすることになった。

 70年に登場した312Bが、その後継マシンで、70年の312Bから71~72年の312B2、さらに73~75年には312B3が登場することになる。その間、70年には4勝でコンストラクター2位に復権したものの、72年以降は再び低迷を繰り返すことになる。

 そんな雌伏期間の72年の年末に発表された312B3のプロトタイプが“Spazzaneve(スパッツァネーヴェ:イタリア語で除雪車の意)”。F1マシンといえば葉巻型、そんなイメージは70年シーズンにロータスがタイプ72で打ち砕いていたが、Spazzaneveのデザインはさらにアグレッシブだった。

極端に幅広なボディは幾分扁平でのっぺりしており、ノーズに2つのNACAダクトを備えた様は、まさに除雪車だった。結局、わずかなテストプログラムを消化しただけで、このSpazzaneveが実践に登場することはなく、売却されたようだ。

 サイドラジエターを使ったパッケージングや、空力処理など、のちの312Tシリーズに、その技術的なトライが生かされることになる。

 2015年にパリのレトロ・モビルで撮影。

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