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F1黄金期にティレルが生み出した6輪マシン (2/2ページ)

F1黄金期にティレルが生み出した6輪マシン

黄金期を迎えたロータスと覇権を争った新興チームのティレル

 前回紹介したロータスが黄金期を迎えた1960年代終盤から70年代前半、彼らと世界タイトルを争ったのは、12気筒エンジンのハイパワーを武器に、長きに渡ってF1GPに参戦してきた老舗チームのフェラーリでもなければ、ロータスと同じコスワースV8を手に入れたブラバムやマクラーレンといった由緒あるチームでもなかった。

 本編の主役は、写真のマトラではなくマトラの(セミ)ワークスチームのオーガナイズを任されたケン・ティレルのチームで後にコンストラクターとなる、ティレル・レーシング・オーガニゼーションだ。

自製のマシンを製作するより早くワールドタイトルを奪取

1969 Matra MS80・Ford Cosworth DFV

 フランスのスポーツカーメーカーとして知られたマトラは、1964年にワークスチームたるマトラ・スポールを設立、F3を手始めにモータースポーツにも参戦を始めた。67年からヨーロッパF2を3連覇することになるのだが、このときからセミワークスチームのマトラ・インターナショナルも参加するようになった。

F1GPには67年にF2マシンを使ってテスト参戦し、翌68年からは新たに開発したF1マシンでフル参戦を開始することになる。ワークスチームはマトラ自製のV12を使用していたが、その一方でティレルのセミワークスは、コンサバではあったが、よりコンペティティブなフォード・コスワースDFVを選択。

 ワークスであるマトラ・スポールが苦戦を強いられているのを尻目に高いポテンシャルを発揮し、ロータスと最後までタイトルを争う活躍ぶり。そして翌69年にはDFVを使用するマトラ・インターナショナル、つまりはケン・ティレルのチームのみが参戦することになったが、11戦6勝で世界王座に就くことになった。この時のマシンが、以前にも紹介したマトラMS80・DFV。

何故かゼッケン2を貼っているが、69年シーズンは、王座に輝くことになるジャッキー・スチュワートが#3、相棒のジャン-ピエール・ベルトワーズは#4を貼っていて#2はロータスのヨッヘン・リントが使用していた。

 写真は2012年にマトラ自動車博物館で撮影。

1970 March 701・Ford Cosworth DFV

 さらに70年には、マトラがクライスラー系のシムカと提携したためにフォードを名乗るコスワースDFVを使用できなくなったことから、ティレルはマトラと袂を分かち自らオリジナルマシンを開発することになる。それまでの「つなぎ」として使用されたのが、市販F1マシンのマーチ701・DFV。60年代後半のF1GPは、キットカーなるネーミングが示すように、アルミパネルでモノコックフレームさえ製作すれば、エンジンやミッション、ブレーキなどは標準部品を誰でも購入することができたから、多くのコンストラクターが登場することになった。

さらにマーチ701のように誰でも購入することができるコンプリートマシンも登場した。ちなみに701は70年式のF1を表している。ティレルは、そのマーチ701を購入して70年シーズンのF1GPに参戦し、イタリアGP終了時点ではランキング2位に着けていた。#1はスチュワートがドライブしたマシンそのもの。

 写真は16年に英国自動車博物館(旧ヘリテージ・モーター・センター)で撮影。

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