満を持して投入した自製のマシンもいきなりトップコンテンダーに
1973 Tyrrell 006-2・Ford Cosworth DFV
1977 Tyrrell 007・Ford Cosworth DFV
1970年シーズンの終盤に登場したティレル・レーシング・オーガニゼーションのオリジナルマシン、ティレル001・DFVは、デビューシーズンこそトラブル続出で結果を残すことはできなかったが、フル参戦した71年には一気にポテンシャルが開花。エースのジャッキー・スチュワートが11戦6勝で2度目の王座に就くと同時にナンバー2のフランソワ・セヴェールも発展型のティレル002・DFVで最終戦のアメリカGPで初優勝。ランキング3位につけ、コンストラクターズカップでも2位のBRMにダブルスコアの大差でダブルタイトルに輝いている。
残念ながら001~004の第1世代は未撮影だが、スチュワートがドライブした001は、スコットランドのエジンバラにある国立博物館に展示してある、とのこと。いつかは訪れて対面を果たしたいものだが……。その第1世代、001~004の後継が、第2世代となる005~006。
001~004は基本設計が同じで、それぞれ1台ずつ製作されていた。初めて“モデルチェンジ”されて72年シーズンに投入された005も同様だったが、006では初めて2号車が製作されている。そもそも005はスチュワート専用で、セヴェール用に006が仕立て上げられたが、73年に006の2号車(006-2)が製作され、スチュワートの専用車両としてシーズンを戦っている。
大きな特徴としてはバネ下重量を引き下げるためにインボード式ブレーキを採用したこと。結果的にスチュワートは同年、006で5勝を挙げ3度目のドライバーズタイトルを奪っている。
写真の#6はスチュワート専用車の006-2。
今年6月にドニントンサーキット内にあるドニントンGPコレクションで撮影。
ちなみに#50は005~006の後継モデルで第3世代に移行した007。最大の特徴は001以来となるウィングノーズを採用したこと。写真は、#50高橋国光のドライブで参戦した77年日本GPでの一幕(富士スピードウェイ・広報部提供)。
世間を驚かせた6輪車も結果を残している
1976 Tyrell P 34/76・Ford Cosworth DFV
1977 Tyrrell P34/77・Ford Cosworth DFV
それまでコンサバティブなマシンづくりを続けてきたティレル。主任設計者のデレック・ガードナーが、1976年に登場させた007の後継モデル、P34では奇抜なアイデアで世間を驚かせることになった。それまで常識的にF1GPマシンは4輪と思われていたが、何とフロントに4輪を装着した6輪車として設計されていたのだ。もちろん設計には根拠があって、ホイール径を13インチから10インチに小径化することで空気抵抗を低減することが最大の目的だった。
実際には、リヤタイヤのホイール径が13インチのままだったから全面投影面積は基本的に変わることがなく、結果として空気抵抗が大きく低減されることはなかった。しかしフロントを4輪としたことでブレーキングのパフォーマンスが大きく向上するという思わぬメリットがあった。実際、76年のスペインGPで実戦デビューを果たしたP34は、4戦目となったシリーズ第7戦のスウェーデンGPで、ジョディ・シェクターとパトリック・ドゥパイエが1-2フィニッシュを飾り、その優位性をアピールしている。
以前にも紹介したが2010年にジンスハイム自動車技術博物館で撮影した個体はプロトタイプで、76年に富士で行われた国内初のF1レースに出場した実戦モデル(走行中のカットは富士スピードウェイ・広報部提供)とはスポーツカーノーズやサイドポンツーン、インテークの形状が異なっている。
青と白に塗り分けられたモデルは77年仕様のアップデート版。ドゥパイエが同年の日本GPで3位表彰台を獲得している(富士スピードウェイ・広報部提供)。