王者ランチャに戦いを挑んだ国産グループA
速くなり過ぎたグループBが、アクシデントが続出し安全性を担保できないことから1986年限りでWRCの表舞台から姿を消し、グループSの構想もとん挫。結果的に87年からはグループAカテゴリーのラリーカーによる“新生”WRCが始まった。グループB時代にもトップコンテンダーとして様々なラリーマシンを投入してきたランチャが、新たに主戦マシンとして用意したのはデルタ。これに国産のグループAラリーカーが挑むという図式が展開されることになった。初年度の87年シーズンに、早くも国産ラリーカーが優勝を飾ることになったが、ランチャの王座は固く、92年まで何と6年間にわたってメイクスタイトルを防衛し続けることになった。
1986-90 Mazda 323(Familia)4WD Type BFMR Gr.A Spec
グループA時代に入り、国産車として初の優勝を奪う
サバンナRX-7でWRCに参戦。国内ラリーでもRX-7や、その先代のサバンナGTなどで活躍していたマツダだが、残念ながらマツダ=ラリーというイメージは希薄。しかし、国内メーカーのなかで最初にグループAに精力的に参加してきたのはマツダだった。
RX-7に替えてファミリア4WD、参戦車両名は輸出仕様の323 4WDが、グループAのラリーカーとして実戦デビューを果たしたのは86年のシーズン開幕戦、モンテカルロだった。華やかなグループBによる総合優勝争いの陰に隠れる格好となったが、323 4WDは着実に開発熟成が進められてきた。
そしてグループAによるWRCが始まった87年には一気に主役へと上り詰めることになる。シーズン第2戦のスウェディッシュでは悲願の初優勝を達成している。
2リッターターボが主流となるなか、1.6リッターターボでは流石にパワー不足は否めなかったが、当代随一と評される秀でたハンドリングを武器に奮闘を続け、90年シーズン中盤からは1.8リッターターボを搭載する後継のBG系にバトンタッチした。
写真:雪煙を巻き上げて改装しているのは87年のスウェディッシュ/グラベルをドリフトで抜けてくるのは同年のニュージーランド(ともにマツダ広報部提供)。
1990 Toyota Celica GT-Four Type ST165 Gr.A ’90 Safari Rally Overall-winner
サインツが国産車のドライバーとして初のタイトルを獲得
オベ・アンダーソンを起用してTTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)を設立、初代セリカ(TA20系)で本格的に海外ラリーを戦い始めたトヨタは、よりコンパクトなカローラ・レビン(TE27)を経て、よりパワフルな2リッターのR系エンジンを搭載したセリカ2000GT(RA20系)に再コンバート。
以後も2代目セリカ(RA40系)、3代目セリカ(RA60系)と発展していった主戦マシンはグループBのセリカTC(ツインカム・ターボ:TA63)へと昇華していった。WRCがグループAで戦われるようになると、新たな主戦マシンとして4代目セリカ(ST160系)が登場する。
この4代目からセリカは、後輪駆動から前輪駆動にコンバートされているが、その派生モデルとして登場した4WDがベースモデルに選ばれ、エンジンもそれまでターボで極限までチューニングされてきたT型からS型にコンバート、ブランニューの1台となった。
1988年のツール・ド・コルスでデビューし、当初から見せつけた速さに、信頼性が加わった翌89年のオーストラリアで初優勝を飾っている。初優勝こそ国産ライバルのファミリアやギャランに先を越されたが、90年にはカルロス・サインツに日本車初のドライバーズタイトルをもたらしている。
写真:90年のサファリ優勝車を2015年のTOYOTA GAZOO Racing FESTIVALで撮影。
1992 Toyota Celica GT-Four Type ST185 Gr.A WRC Spec.
サインツが2度目の王座、メイクスタイトルまでもあと一歩!
1990年にカルロス・サインツに初のドライバーズタイトルをもたらしたセリカは、92年には5代目のST180系に移行している。市販モデルにもGT-Fourグレードは存在するが、冷却性能のキャパシティ不足からエボリューションモデルたるGT-Four RCを用意、満を持しての実戦デビューとなった。
その舞台はシーズン開幕戦のモンテカルロだったが、アイスバーンでの格闘はタイヤ選択というギャンブルが付きまとい、結果的にランチャに一歩及ばなかったがポテンシャルは充分確認できた。
実際、ドライバーポイントのみが掛けられランチャとトヨタの2大ワークスが不在となった第2戦のスウェディッシュではTTS(トヨタ・チーム・スウェーデン)のマッツ・ヨンソンが初優勝を飾ると、第4戦のサファリではTTEのサインツが、ランチャのユハ・カンクネンに1時間近い大差をつけて圧勝。
その勢いを持続したサインツが、2度目のドライバータイトルを手に入れることになった。ただしメイクスポイントでは一歩及ばず、打倒ランチャは翌年まで持ち越しとなってしまった。
写真:92年シーズンにサインツがドライブしたマシンで、2015年のTOYOTA GAZOO Racing FESTIVALで撮影。