WEB CARTOP | 独自の企画と情報でクルマを斬る自動車メディア

速くなりすぎたグループBの後を継いだグループAマシン

速くなりすぎたグループBの後を継いだグループAマシン

WRCの主役に抜擢されたグループA

グループ4からWRCの主役を継承したグループB(Gr.B)のラリーマシンだったが、時代はあっけなく終焉を迎えることになった。速くなり過ぎたことでアクシデントが続出。とうとう1986年にはGr.Bの廃止が決定。さらにGr.Bの発展形として企画が進められたグループS(Gr.S)も構想自体が消滅してしまった。

これでWRCの主役の座はGr.Aに巡ってくる。グループBを見慣れていた目には、少し迫力不足。頼りなさも残っていたGr.Aだったが、メーカーが威信を掛けた戦いを続けた結果、やがてかつてのGr.B以上の速さを見せつけるようになる。

1986 Mitsubishi Starion Turbo Gr.A グループBの4輪駆動を諦めグループAで参戦

 前回紹介した秘密兵器、スタリオンにターボと4WDシステムを組み込んだグループBのスタリオン 4WD ラリーはプロジェクトそのものが頓挫してしまったが、4WDシステムを諦めつつターボ・エンジンのみを組み込んだスタリオン・ターボがグループA仕様で実戦デビューを果たしている。

ただしWRCフル参戦がメインの活動メニューではなく、中東ラリー選手権をメインにアジア・パシフィック選手権や英国選手権といったところで、WRCに関しては1986年の1000湖や87年のコートジボワール戦のみの出場だった。

 そのコートジボワールでは総合4位につけ、中東選手権ではグループAクラスで3連勝を飾るなど、そのパフォーマンスは十分。88年には後継のギャランVR-4にバトンをつなぐことになる。写真は86年の1000湖(三菱自動車広報部提供)

  

1988 Nissan Datsun 200SX Group A Type RVS12 the 36th Safari Rally Overall 2nd 
240Z~240RSの流れをくみサファリを制した200SX

 旧くからサファリラリーに参戦してきた日産ワークスは、ブルーバード~240Z~240RSとマシンを入れ替えながら常にトップコンテンダーとして活躍を続けてきた。そしてそのマシンカテゴリーはグループ2からグループ4、そしてグループBへと発展していった。

いずれも市販のハイパフォーマンスなロードゴーイングカーをベースにしたラリーカーだったが、この時期にはすでにラリーカーの必須アイテムとなっていた4輪駆動システムは組み込まれていなかった。この一連の集大成となったマシンが4代目シルビア(S12系)。

輸出仕様に倣ってエントリー名は200SXとなり88年のサファリでは2位入賞を飾っている。ただ80年代を限りに現役から去り、パルサーGTI-Rにバトンタッチした。写真は88年サファリで2位入賞のマシンを日産ヘリテージコレクションで撮影したものだ。


画像ギャラリー

WRITERS

モバイルバージョンを終了