技術畑の2人が6月24日付けで辞任を発表
三菱自動車の代表取締役社長兼COOの相川哲郎氏と同代表取締役副社長の中尾龍吾氏が、6月24日の定時株主総会をもって辞任することを発表した。もちろん一連の三菱車の燃費不正による責任を重く受け止めた結果だろう。※左から相川哲郎社長・益子修会長・中尾龍吾副社長
テレビや新聞などの報道ですでに知られているとおり、相川社長は三菱グループの中核をなす三菱重工の中興の祖と呼ばれた相川賢太郎(現:三菱重工相談役)氏のご子息である。もちろん三菱グループのなかでは、相川哲郎社長は若い頃から一目置かれる存在だったろう。しかし、自動車業界のなかでは非常に真面目でクルマ好きな技術者として知られていた。
初代ekワゴンの開発責任者として手腕を振るうなどしたが、その後は開発現場から離れ2014年に現職に就いている。一方の中尾副社長もまた、実直な技術者であった。3人いる副社長で中尾氏だけが今回辞任することになったのは、「品質統括部門長と開発担当」という職責のためと考えられる。
じつは今回の日産自動車による三菱自動車救済を、1999年当時の日産自動車立て直しに重ね合わせる向きも多い。事実、WEBCARTOPでお馴染みの国沢光宏さんは、日産自動車CEOのカルロス・ゴーン社長から直接そう聞いたのだという。当時、さまざまな日産関係者に意見を聞いて回ったゴーン社長は「本社も開発も工場もディーラーも疲れ果てていた。時間的な余裕ない。プレッシャーを掛けても意味を持たない。とにかく速い復興作を打ち出す」というものだったようだ(国沢ブログより引用 原文まま)。
日産自動車の立て直しを担ったカルロス・ゴーン氏を起用したのはルノーからの要請ではなく、当時の日産の社長だった塙義一氏だったという。そして今回、三菱自動車に送り込む日産自動車からの役員を選ぶのもゴーン氏ではなく、三菱自動車の内情をよく知る益子修会長のようだ。
※写真は故塙義一氏
ただ、当時の塙社長はゴーン氏の仕事ぶりを見守ったあと、2001年には代表取締役会長兼CEOから代表取締役会長となり、経営はゴーン氏とルノー系役員に移行、2003年には退任して相談役名誉会長となった経緯がある。
益子会長も引き継ぎや経営の移行を日産側に任せたあとは、三菱自動車側のシンボルとして相川現社長に託すのではないかと思われていたために、今回の相川社長辞任は少し驚きでもあった。のちに日産でゴーン氏の右腕となり最高執行責任者COOからCOO代表取締役となった志賀俊之氏のような起用が、相川社長にも行われるのではないかと思われていたからだ。
相川社長、中尾副社長とも、直接的には今回の不正には絡んでいないはずだが、三菱自動車をなんとしても守るためには会社を代表する2人の引責辞任で少しでも早い幕引きを図りたかったのだろう。
ただ、スズキの記者発表でもおわかりのとおり、現在の国交省の燃費計測方法やシステムが本当に現在のクルマ開発現場と照らし合わせて現実的なのかどうかを一考するいい機会なのではないだろうか。
※写真は相川氏、中尾氏の辞任会見の直前に燃費問題で会見を行ったスズキの鈴木修会長
各自動車メーカーのクルマ開発者や有識者を含めて、カタログ値と現実の燃費数値に乖離のないテスト方法や試験導入がされることを切望したい。それが自動車に対して不信感を抱きつつあるユーザーへの信頼回復に繋がるし、ユーザーがクルマを選ぶ際の有益な選択基準に今度こそなるはずだ。
※会見の写真出典:Ustreamより