国産車として「初」が付くラリーカーたち!
前回まで3回に分けて、オーストラリアで開催されていたサザンクロスラリーと、アフリカ大陸の灼熱の大地を駆け抜けるサファリラリーに、国内メーカーが挙って挑戦を始めたことを紹介してきた。しかし、もちろん国内メーカーの活躍が、そこに留まることはなかった。続いて挑戦の舞台に選ばれたのは、ヨーロッパ各国で開催されていた、よりハイスピードが要求され、競技性も高くなったスピードラリーだった。なかでも、氷雪路で速さを競うモンテカルロラリーと、イギリスはウェールズの森林地帯を舞台にハイスピードなグラベルを駆け抜けるRACラリーは著名で、WRCのシリーズ戦の中でも屈指の歴史を持つクラシックイベント。そしてWRC戦とならなかったサザンクロスラリーは“選に漏れた”が、サファリラリーとともに世界三大ラリーと呼ばれるようになる。
1972 Nissan Datsun Fairlady 240Z Type HLS30 the 41st Monte Carlo Rally Overall-3rd.
モンテカルロに60年代半ばから参戦していた日産が国産車として初の3位入賞
日産が初めてモンテカルロラリーに挑戦したのは1965年のこと。以来70年代前半まで、ほぼ毎年のように参戦を続けていた。最初に投入されたワークスマシンはブルーバードの2代目(410系)だったが、50位台と振るわなかった。
68年にはフェアレディ2000を投入し、ハヌー・ミッコラ組が総合9位/クラス3位に躍進している。そして70年にフェアレディZ……海外仕様でネーミングもダットサン240Zが登場する。70年にRACラリーで実戦デビューを果たした240Zは、翌71年にはモンテカルロにも姿を見せている。
この時はラウノ・アルトーネン組が総合5位/クラス2位入賞を果たしていたが、翌72年には国産車として初めて総合3位に輝いている。ドライバーはアルトーネンで、この時のナビが、後にプジョー・タルボ・スポールやフェラーリF1チームで辣腕ぶりを発揮し、2009年にはFIA会長まで上り詰めることになったジャン・トッドだったことは、よく知られたエピソードだ。写真の個体は座間にある日産ヘリテージ・コレクションで撮影した72年モンテの3位入賞車。
1972 Toyota Celica 1600 TTE誕生のきっかけとなった国産車初のスペシャリティ・カー
トヨタ2000GTやトヨタ7を投入し1960年代の日本GPや耐久レースで活躍していたトヨタだったが、70年代に入ると再び、海外ラリーにも目を向けることになる。切っ掛けとったのはオべ・アンダーソンとの出会いだった。
63年に母国のスウェーデンでラリーを始めたアンダーソンは67年にランチアで、71年にはルノー・アルピーヌでモンテカルロラリーを制して注目を集めるようになっていた。国際ラリー活動を模索していたトヨタの目に留まる格好でジョイント、まずはセリカで72年のRACラリーから参戦が始まった。
その初戦でアンダーソンは、これがWRCデビューとなったセリカをクラス優勝に導き、両者のリレーションは一層強固なものとなった。写真は72年のRACラリーでクラス優勝を飾ったアンダーソン組のセリカ1600(トヨタ自動車広報部提供)。
1974 Toyota Corolla より軽量でよりコンパクト。ほぼ完璧な真理を実践した新世代ヒーローが登場
セリカ1600によってWRC活動を始めることになったトヨタとオべ・アンダーソンの、次なるウエポンはカローラだった。全長4m弱/全幅1.5m強、とセリカに比べると一回り小ぶりで車両重量も700kg台と軽量コンパクトだったから、同じパワーユニットを搭載するならば明らかにポテンシャルがアップする。
この論法、後にはコンパクト過ぎて無理が生じるケースも出てくるが、この時代においては完璧な真理として通用していた。ともかく、カローラのボディに1.6リッター直列4気筒ツインカムの2T-Gエンジンを搭載して登場したレビンは、モータースポーツ用のベース車両として引っ張りだことなった。
ただし2T-G搭載モデルは当初国内にのみリリースされており、海外ではシングルカム/プッシュロッドの2Tのみ。そこでツインカムヘッドをオプション装着したグループ4も登場してくる。写真は74年6月にデンマークで行われたラリーでの走行シーンだ(トヨタ自動車広報部提供)。