WEB CARTOP | 独自の企画と情報でクルマを斬る自動車メディア

グループB時代のラリーカー・プロローグ(-1983年)

グループB時代のラリーカー・プロローグ(-1983年)

グループ4で培われたグループBの必須アイテム

 1973年にシリーズが制定された世界ラリー選手権(WRC) は、それまで主にグループ(Gr.)2やGr.4で戦われてきたが、83年から新規定に移行し、以後はGr.Bが主役となっていった。そもそもGr.BはGr.4の後継カテゴリーで、市販車がベースだが大幅な改造が認められていた。さらにGr.4が連続する24か月間に400台生産を義務付けられていたのに対し、Gr.Bは12か月で200台、と大幅に緩和されていた。さらにエボリューションモデルなら20台の生産でホモロゲーション(車両公認)が認められたから、Gr.Bマシンは次第に、プロトタイプカーに近いレベルまで特化していった。そしてターボ・エンジンとAWD=全輪駆動、そしてハンドリング性能を極めたMR(ミッドシップ・エンジンの後輪駆動)レイアウトが、Gr.Bの必須アイテムとなった。これらはすでにGr.4の時代から採用するラリーカーも少なくなかったが、それらをすべて装備することが必要条件となっていたのだ。

★操縦性を突き詰めていくとMRにたどり着く★
1974 Lancia Strato’s
量産車にMRレイアウトを採用したのは1962年に登場したルネ・ボネのジェットがその嚆矢とされている。その後継モデルたるマトラM530はラリー・イベントにも顔を出していたから、MRレイアウトを採用した最初のラリーカーは、もしかするとマトラかもしれないが、本格的にWRCを戦うラリーマシンで、と条件を付けたなら、その先駆けとなったのは72年にデビューしたランチア・ストラトスだろう。そもそもGr.4はGr.3の発展版で、連続した12か月間に5000台以上を生産したGr.3をベースに、さらにチューニングを施したクルマ、との認識が一般的だったが、逆転の発想で、ラリー専用マシンを400台製作することでGr.4の公認を受けている。何よりも特筆すべきは、2シーターでショートホイールベースのMRレイアウトだったこと。キャビンとなるセンターモノコックの前後に鋼管でスペースフレームを組んだシャシーに、フェラーリ・ディーノ用の2.4リッターV6エンジンを横置きで搭載するというパッケージは、ずば抜けて高いシャシー剛性を生み、究極のハンドリングに繋がっていた。

Gr.4としてのデビューイヤーとなった74年に3勝を挙げ、メイクス・タイトルを獲得するとともにエースのサンドロ・ムナーリが世界王者に。翌75年にも4勝を挙げてメイクスで2連覇を達成するもムナーリが3位、ビヨルン・ワルデガルドが2位につけたものの、ドライバーズ・タイトルはフィアットのハンヌ・ミッコラに奪われてしまった。さらに76年には4勝…うち2回は1-2-3、1回は1-2フィニッシュを飾り、2位のオペルにダブルスコアの大差でメイクス3連覇。ドライバーズ・タイトルもムナーリが奪還することになった。アリタリア・カラーが映える1台は2015年のアウト・モト・レトロで撮影。一方、深紅のストラダーレ(に近い?)モデルは四国、高知県は香南市にある四国自動車博物館にて撮影。ラリーカーだけでなくラテンの名車が多かった。そして後姿の白い1台はイタリア北部、ルイジ・ボンファンティ-フィマール自動車博物館の企画展で撮影。

★太いトルクを余さず伝える4WDのアドバンテージ★
1983 Audi Rally Quattro A2
悪路、特に泥濘地や氷雪路で威力を発揮する4輪駆動(4WD)はそもそも、ラリーには最適と思われるが1981年にアウディがクワトロ…オリジナルのクワトロという意味からUr-クワトロと呼ばれることもある…をGr.4ラリーカーに仕立て上げたときには、重量の増加と複雑すぎるメカニズムから、その性能を疑問視する声が高かった。しかしデビュー戦のモンテカルロではハンヌ・ミッコラが、リタイアするまで2位以下を大きく突き放して独走しており、第2戦のスウェディッシュで早くも優勝を飾っている。ここまでは特殊なラリーだから、とうそぶく関係者も少なくなかったが、グラベルとターマックがミックスしたサンレモでミッシェル・ムートンが優勝…WRC史上初の、そして現時点までで唯一の女性ウィナーだ!…し、やはりグラベルとターマックがミックスした最終戦のRACでミッコラが2勝目を挙げると高い評価が確定。以後はライバルも4WDの採用へと動いた。アウディ・クワトロのもう一つの武器はターボチャージャー。それ自体はサーブが70年代後半に99に搭載してWRCに投入。79年の第2戦、スウェディッシュで初優勝も飾っている。このサーブは前輪駆動だったから、パワーアップにも限界があった。言い換えるならエンジンの更なるパワーアップが可能でも、2本の前輪が路面に伝えるトルクには限界があったから、ターボチャージャーの威力をフルに使う、使い切ることはできなかった。ところがクワトロでは4輪駆動で、4本のタイヤをフルに使ってトルクを路面に伝えるから、エンジンパワーをもっと引き上げても、それが“有効活用”される。実際、サーブ99はGr.4仕様でも最高出力が265馬力だったが、クワトロはデビュー当時で310馬力、83年の仕様では340馬力を発生しているから4WDの威力は明らか。デビューイヤーの81年に3勝を挙げたクワトロは、翌82年は12戦7勝。ムートンとミッコラ、そしてスティグ・ブロンキストが星を分けてランキング2~4位にとどまったものの、メイクス・タイトルを奪取。翌83年は反対にミッコラがドライバーズチャンピオンに輝いたもののメイクスではランチアに次ぐ2位にとどまっている。ワークスカラーの83年仕様クワトロA2と、2台のロードモデル、従順しいベージュのクアトロと赤のスポーツ・クアトロ。3台すべてドイツはインゴルシュタットにあるアウディ・フォーラム・インゴルシュタットにて撮影。

画像ギャラリー

WRITERS

モバイルバージョンを終了