1968年からプロトタイプは3リッター以下、スポーツカーは5リッター以下に新規定
1953年に始まった世界スポーツカー選手権は、その後何度かシリーズ名を変更。さらにテクニカル&スポーツ両面から規則の変更を重ねていったが、68年にはプロトタイプカーを3リッター以下に、そしてスポーツカーは同じく5リッター以下にエンジン排気量を制限した新ルールを採用。両カテゴリーによる国際メーカー選手権がスタートした。63年から前年まではプロトタイプの排気量が無制限だったから、モンスターマシンが占有していた総合優勝が、新たなルールの元では格下のクラスでも夢ではなくなった。このことから多くのメーカーが以前にも増して力を入れ、シリーズは大いに盛り上がった。
★ラテンの血が織り上げた大河ドラマ★
1968 ALFA Romeo Tipo 33-2 Daytona Racing Sport
1968年の規則改定に、積極的に対応したメーカーの一つがアルファ・ロメオ。前年にデビューしたティーポ33を発展させたティーポ33/2をリリース、シーズン開幕のデイトナ24時間では、2.2リッターのポルシェ907には及ばなかったが2リッター以下のクラスで圧勝。これに因んで33/2はデイトナ・クーペと呼ばれている。翌69年には3リッターの33/3に発展したがライバルも5リッターエンジンを投入、苦戦を強いられている。そして73年にデビューした33TT12…鋼管スペースフレーム(TT)に3リッターの水平対向12気筒エンジンを搭載…で75年に念願のタイトルを手に入れることになった。そして76年に登場した33SC12…SCはボックスフレーム=モノコックの意…が集大成となった。#39の68年式33/2は昨年のレトロ・モビルで、#33の75年式33TT12はトリノの国立自動車博物館で、ゼッケンのない76年式の33SC12と12気筒エンジンはローマン・コレクション(オランダ国立自動車博物館)で撮影。
★ゲルマンの完璧主義で見事初戴冠★
1968 Porsche 908 KH
それまで小排気量ながら頑張ってきたポルシェも、1968年の改定を追い風に翌69年には悲願だったオーバーオールでの戴冠を成し遂げている。68年にデビューした908は、67年用の907では2.2リッターの水平対向8気筒だったが3リッターの水平対向8気筒を新開発し、907用を発展させたシャシーに搭載していた。デビューシーズンはトラブルも多く、期待された活躍ができなかったが、翌69年はロングテールのLH(ラングヘック=長い尻尾)クーペと、レギュレーションの緩和でこのシーズンから許されるようになったオープントップ、908/02と呼ばれるスパイダーの2種を、コースによって使い分ける周到ぶり。ル・マン24時間までの7戦で5勝を挙げる圧勝ぶりでメーカー選手権を制している。ただしもう一つの悲願、ル・マン制覇は翌年以降までお預けとなってしまったが…。#1の68年式908KH、#266の69年式908/02スパイダー、#64の同908LHクーペ全てポルシェ博物館で撮影。
★時代の変遷に翻弄された悲運の跳ね馬★
1969 Ferrari 312 P
規則改正に抗議するために1968年はメーカー選手権の活動を休止していたフェラーリが、翌69年シーズン用に開発したグループ6のプロトタイプ・スポーツカーが312P。67年の主戦マシン、330P4用を発展させたシャシーにF1マシンに使用している3リッターのV12エンジンを耐久レース用にチューンし直し搭載。デビューのセブリングで2位入賞を果たしている。翌70年にはグループ4にコンバートした後継マシンの512Sがデビューするも不発。その512Sを改良した512Mは70年シーズンの終盤にデビューし、キャラミではポルシェ917を圧倒。ただし71年はマシン開発に専念してワークス活動は休止。サテライトが頑張ったがポルシェの牙城は崩せず。72年シーズンに312PBがシリーズを制したが512Sは時代の変遷に翻弄された悲運のマシンとなった。#19の69年式312Pと#16の70年式512Mも、ともにモデナのガレリア・フェラーリ(フェラーリ博物館)で撮影。
1970 Ferrari 512 M
★ド・ゴール政権に後押しされたフランスの星★
1972 Matra-SIMCA MS670
DB~ルネ・ボネの流れから自動車メーカーとなったマトラは、エルフ石油、そしてド・ゴール政権からのサポートを受けてF1GPとスポーツカー、2つの世界選手権に挑戦することになる。1967年にプロジェクトはスタートしたが、意外なことに69年にはティレルとジョイントしてF1制覇を、文字通り呆気なく達成するが、スポーツカーに関してはずいぶん回り道をすることになる。先月、マトラ博物館を紹介した際には肝心なル・マン初制覇の話題に触れることができなかったが、今回紹介するMS670とMS670Bは72~74年にかけてル・マン24時間を3連覇した栄光のマシンだ。72年のル・マンに照準を絞ったMS670は、前年まで戦っていたMS660の正常進化モデルでフロントホイールが小径化されたのが特徴。さらに73年のル・マンでデビューしたMS670Bはリアも13インチに小径化されている。#15のMS670、#11のMS670Bともに2012年のル・マンで撮影。
★ターボで悲願達成後、F1GPに進出★
1975 Alpine Renault A442
マトラがド・ゴール政権のバックアップを受ける際に、競合相手だったのがアルピーヌ。結果的にアルピーヌは自力でル・マン24時間に拘り続けてきた。ただし得意としてきた小排気量クラスでは数々の栄光を勝ち取ってきたが、68年の規則改定を機にチャレンジした3リッタークラスでは大失敗し、レース活動を休止する。ルノーに買収されたのち、再びレースに打って出たアルピーヌは、2リッターのスポーツカー、A440でヨーロッパ選手権に参戦、ターボを熟成しながら時期を図り1976年にル・マン復帰。このときはターボ・エンジンを載せたA442が1台のみだったが翌77年には4台に体制を強化したが、トップを快走しながらもリタイア。こうして迎えた78年のル・マンではルノーにとって悲願だったル・マン制覇を達成。ターボ・エンジンを手にF1GPに挑戦することになる。78年のル・マンで4位の#4はル・マンのサーキット博物館で、リタイアした#3はミュルーズのフランス国立自動車博物館で撮影。ともにA442Aだが#3は優勝車の#2(A442B)が装着していたルーフカバーを装着している。
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